光伸学院ニュース

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明日より冬期講習再開です

新年明けましておめでとうございます!
 
本年も宜しくお願い致します!
 
 
明日から冬期講習が再開致します。
 
 
ここからは高校入試に向けて!
 
 
今年も頑張ろう!!
 
 
齋藤

年末年始のお知らせ

冬晴れが続いています。
 
 
年内の授業は本日(29日)が最終です。
 
 
2018年は5日(金)~スタート致します。
 
 
今年1年ありがとうございます。
 
 
来年も宜しくお願い致します。
 
 
齋藤

明日から冬期講習スタートです!

クリスマスを迎えました。 といっても、無縁のイベントですが。
 
 
明日から、塾は冬期講習に入ります。
 
 
これまでの復習をする機会です。 中3生にとっては、「勝負の冬」です。
ここで何がすべきか?をしっかり考え、それを実行していかねばなりません。
 
 
他の学年も、今まで学習した内容をしっかりと確認するチャンスです。
 
 
意義をしっかりと伝えていきたいと思います。
 
 
齋藤

本を読むこと(ブログより)


良い天気が続いていますが、寒いですね。



 



多分、自分の人生で今が一番本を読んでいるかもしれません。



行き帰りの本を読む習慣がついたおかげです。



 



子どもの頃を考えてみると、そんなに本を読むことは好きではありませんでした。 



家族にも読書を習慣とする人がいなかったし…。 ただ、幼少期なのか、小学校入りたての頃か、



その時期だけ、「伝記もの」が大好きで、親にねだっていた気がします。 祖父が某宗教の信者なのに、



「キリスト」買ってきてめちゃくちゃ怒られた記憶もあります。



 



でも、その期間に「本を読んだ」ことが、ある程度、自分の国語力を支えていた気がしています。 



 



この国語力、やっぱり大事だな、と。 結局、全ての教科に影響しますから。



 



国語力が備わっていると、中学英語であれば、多少文法があやふやでも、単語力で何とかなったりします。 



しかし、国語力が極端に弱いと…、ちょっと文が複雑になるとお手上げ状態になったり。 



数学や理科では、「問題の意味がわからない」「何を問われているのかわからない」



という問題もでてきます。 



 



 



もともと「文章を読むことが嫌い」ということが根本なので、社会に至っては、



「読みたくない」が先行してしまいます。



 



 



但し、国語力が「強くなければ!」と言いたい訳ではないんです。 



必要最低限の部分というのでしょうか、「極端に弱い」でなければいい。



 



 



結果、それには「読書」が一番のような気がしています。 「文章に触れる」ことが大切だな、と。 



文章を読み、頭で情景を描いて想像する。 自分が主人公だったら…と考えたり。 



 



 



塾では速読も行っています。 主な目的は、単純に「入試問題を速く読むこと」ですが、



もう一つは「読書量を増やすこと」です。 沢山の本を読むことで、得られることは多いはずですから。



 



 



もっと、塾の本も増やしていかなければな、と。 



最近、そちらに目がいっていなかったことを反省しています。



 



齋藤

聞きグセ(ブログより)


冷たい風が、冬の寒さを煽っています。 もう年末ですね。



 



 



子供たちの学習を見ていると気になることの一つに、「聞きグセ」があります。 



分からないことがあると、すぐに聞くという行動が習慣になってしまっているのです。



 



 



例えば授業中、英語の演習中に分からない単語があると、「~って何だっけ?」と発します。 



するとどこからか「~だよ」と答えが返ってきてしまう。 



 



 



よくある風景ですが、そうやって「聞くと答えが返ってくる」環境に慣れてしまうと、



「答えが絶対返ってこない」状況になったとき、つまり「聞くことが許されない」状況=テスト



になったときに困ります。



 



 



じゃぁ、聞かないで答えを待ってればいいのか? というと、これもまた間違いですね。



 



 



分からない時は、必死に考えることが全てだと思います。 「何だっけ?」とか「こうだったかな?」で



答えが出てこなくても構いません。 とにかく思い出そうとすること。 その場合、答えを知ったときの



「脳への残り方」が変わると言われています。



 



 



「聞きグセ」がついていると、プリントの再テストとかでも、隣の子にやり方を聞きながら解いてしまったり



するケースもあったり…。



 



 



「分からない⇒聞く⇒誰かが教えてくれる⇒その問題はクリア」という構図になっているのです。 



そうすると、その問題はいつまでも「自分で解く」ことはできませんね。



 



 



「分からない」「解けない」はいけないことではありません。 但し、その解決方法を間違えないように



してほしいな、と。 結果的には、誰かに教えてもらって解決するのですが、要は「その後の自分」を



進歩させられる方法をとるべきだ、と。



 



 



そんなことを考えたりしています。



 



 



齋藤



 


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