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本を読むこと(ブログより)


良い天気が続いていますが、寒いですね。



 



多分、自分の人生で今が一番本を読んでいるかもしれません。



行き帰りの本を読む習慣がついたおかげです。



 



子どもの頃を考えてみると、そんなに本を読むことは好きではありませんでした。 



家族にも読書を習慣とする人がいなかったし…。 ただ、幼少期なのか、小学校入りたての頃か、



その時期だけ、「伝記もの」が大好きで、親にねだっていた気がします。 祖父が某宗教の信者なのに、



「キリスト」買ってきてめちゃくちゃ怒られた記憶もあります。



 



でも、その期間に「本を読んだ」ことが、ある程度、自分の国語力を支えていた気がしています。 



 



この国語力、やっぱり大事だな、と。 結局、全ての教科に影響しますから。



 



国語力が備わっていると、中学英語であれば、多少文法があやふやでも、単語力で何とかなったりします。 



しかし、国語力が極端に弱いと…、ちょっと文が複雑になるとお手上げ状態になったり。 



数学や理科では、「問題の意味がわからない」「何を問われているのかわからない」



という問題もでてきます。 



 



 



もともと「文章を読むことが嫌い」ということが根本なので、社会に至っては、



「読みたくない」が先行してしまいます。



 



 



但し、国語力が「強くなければ!」と言いたい訳ではないんです。 



必要最低限の部分というのでしょうか、「極端に弱い」でなければいい。



 



 



結果、それには「読書」が一番のような気がしています。 「文章に触れる」ことが大切だな、と。 



文章を読み、頭で情景を描いて想像する。 自分が主人公だったら…と考えたり。 



 



 



塾では速読も行っています。 主な目的は、単純に「入試問題を速く読むこと」ですが、



もう一つは「読書量を増やすこと」です。 沢山の本を読むことで、得られることは多いはずですから。



 



 



もっと、塾の本も増やしていかなければな、と。 



最近、そちらに目がいっていなかったことを反省しています。



 



齋藤

聞きグセ(ブログより)


冷たい風が、冬の寒さを煽っています。 もう年末ですね。



 



 



子供たちの学習を見ていると気になることの一つに、「聞きグセ」があります。 



分からないことがあると、すぐに聞くという行動が習慣になってしまっているのです。



 



 



例えば授業中、英語の演習中に分からない単語があると、「~って何だっけ?」と発します。 



するとどこからか「~だよ」と答えが返ってきてしまう。 



 



 



よくある風景ですが、そうやって「聞くと答えが返ってくる」環境に慣れてしまうと、



「答えが絶対返ってこない」状況になったとき、つまり「聞くことが許されない」状況=テスト



になったときに困ります。



 



 



じゃぁ、聞かないで答えを待ってればいいのか? というと、これもまた間違いですね。



 



 



分からない時は、必死に考えることが全てだと思います。 「何だっけ?」とか「こうだったかな?」で



答えが出てこなくても構いません。 とにかく思い出そうとすること。 その場合、答えを知ったときの



「脳への残り方」が変わると言われています。



 



 



「聞きグセ」がついていると、プリントの再テストとかでも、隣の子にやり方を聞きながら解いてしまったり



するケースもあったり…。



 



 



「分からない⇒聞く⇒誰かが教えてくれる⇒その問題はクリア」という構図になっているのです。 



そうすると、その問題はいつまでも「自分で解く」ことはできませんね。



 



 



「分からない」「解けない」はいけないことではありません。 但し、その解決方法を間違えないように



してほしいな、と。 結果的には、誰かに教えてもらって解決するのですが、要は「その後の自分」を



進歩させられる方法をとるべきだ、と。



 



 



そんなことを考えたりしています。



 



 



齋藤



 

なぜ勉強するの?

12月も中旬に入り、冬らしい寒さがやって来ています。
 
 
テスト等がない時期も、私用で何もなければ、基本的には土日
どちらかは塾に来るようにしています。 定期テストが近ければ
もちろん塾を開放しますし、中3生の会場テストがあるときも、
土曜は対策⇒日曜は自己採点等で塾を開けます。
 
 
受験シーズンになれば、基本的に開く土日のどちらかは、中3生の
自主学習時間になっていきます。 今がちょうどその時期ですね。
 
 
年を越すと、「土日どちらか」ではなく、「土曜も日曜も」と変わって
いきます。
 
 
子供達にとって、この時期が「最も勉強する時期」になるわけですね。
 
 
この「勉強」って何のためにするのか? 本来は「受験のため」ではありません。
でも、「受験」とかがないと、子供達が勉強に真っ向からぶつかる時期が
作れないのも事実で…。
 
 
子供達の大きな疑問、私たちもその頃に抱いていました。
 
 
「なぜ勉強するの?」「こんなの将来使うの?」などなど。
 
 
「なぜ勉強するのか」の1つは、自分の適性を知ることにあると思います。
自分の得意・不得意を把握することですね。 ただ「不得意」と思った科目
もひたすらやらなければならないのは、結構辛い。 だから、「こんなの
将来役に立つ?」という疑問が生まれます。
 
 
教科によって違いますが、特に「数学」はそう思う傾向が強い教科だと
思います。確かに、因数分解や図形の考えなんて、ほぼ何の役にも立ちませんね。
 
 
しかし、私はこの「数学」こそ、将来のためにしっかり学習しておくべきもの
だと思っています。 
 
 
数学は、「考え方」を学び、「論理的思考」を構築するためのツールだと
思っています。 数学を学び、考えることで、脳に自然と「論理的な考え方」
を作っていくのだ、と。 その結果、将来仕事に就いた時の処理能力に繋がる
のではないか、と思っています。
 
 
極端な話ですが、正答が得られなくても点数が上がらなくても、気にしないで
構わないとも思っています。 解く時にしっかりと考えて、解説を確認し、
「どう考えればいいか?」を理解することが「学習」ですから。
 
 
それを実直に続けていれば、逆に正答が得られるように変わっていきますから。
 
 
 
「人間は考える葦である」有名な言葉がありますね。 折角、人間に生まれた
のですから「考える」ことをやめないでほしい…、なんて思うんです。
 
 
「できないから」と考えることを拒否してしまうのは、勉強にとって天敵なんで。
 
 
 
そんなことを考えています。 
 
 
齋藤

高校での学習(ブログより)


今日もいい天気です。



 



日曜と昨日と卒塾生が勉強しに来ました。 



 



高校生の内容を見ていて、高1の数学はまだ中学の延長かな、と思います。 



私でも例題を見ればすぐに分かるくらいです。 ということは、中学の数学がベース



になるわけですから、やはりしっかり理解をして覚えていないと…です。



 



高校側としては、「これはもう習ったもの」として進むケースが多いでしょうから、



「今の何?」と思っても多分説明はされません。 例えば中学で、分数の計算を



忘れていても、説明してくれないのと同じですね。



 



因数分解や2次関数など、多少復習から入るものもあるようですが、これも



「分かっている」前提で飛ばされるケースも考えられます。



 



そうやって考えてみると、高校入試に出題される問題(特に大問1)は、



「絶対に理解していてね」というメッセージなのかな?と。



 



私立の単願推薦などで、面接だけで合格できるからといって入試問題をスルーしてしまうと、



色々なことを忘れた状態で高校に進んでしまうことになります。 



推薦組も2月一杯はしっかりと勉強しておこう!という考えは、間違っていなかったな、



と改めて思います。



 



高校受験では、「合格がゴール」のように勘違いしてしまいがちです。 それはあくまでも「通過点」



でしかなく、新たなスタートに立つための試練です。



 



そして、そのための学習は必ず先に繋がるもの…。



 



そんな当たり前のことを、改めて思ったりしました。



 



齋藤


技能教科の評価(ブログより)


秋晴れで清々しい陽気です。



 



さて、中3生の内申が合計点だけですが判明し始めています。 1日の金曜に全員に伝えられる学校と、



現在行われている3者面談で教えられる学校に分かれていますので、後者の学校は面談までは不明です。



 



合計だけなので、推測でしかありませんが、期待していた通りの推移とそうでない場合と…、



まぁ仕方のないことですが。 



 



毎年思うのですが、技能系4科の評価について、やはり実技重視なのでしょうか?



 



例えば、体育で運動能力が高い子が、筆記であまりとれなくても「5」というのは見たことがありますが、



運動が苦手な子が筆記で頑張って「5」というのはあまり記憶がありません。 これって、どうなのでしょう? 



運動が苦手だから、筆記で頑張って90点以上とっても、結局「4」で諦めなければいけないのは、



何か違う気がするんです。 100点取ったらさすがに…なんでしょが、それってきついですよね。



 



結構前のことですが、ある学校の美術の先生に「絵のセンスがないから3以上はない」とはっきり言われた、



という子がいました。 その場合でも、テストはある程度頑張らないと、今度は「2」の恐れがあるわけですから、



筆記で何もしないわけにもいきません。 でも、どんなに頑張っても「3」以上はない…となれば、



意欲は半減してしまいますよね。



 



 



特に今は、都立の換算内申で4科は2倍!ですから、1つ上がることは非常に大きいので、



筆記での挽回チャンスをもう少し与えてほしいな、と思ったりします。



 



 



なんてことを考えたりしています。



 



齋藤



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